大阪南部・泉州や南河内の秋まつりといえば、四輪の山車を曳く「だんじり祭り」がよく知られています。
しかし、大阪の最南端に位置する泉南・阪南エリアには、だんじりとは異なるルートで伝わった、二輪の山車「やぐら」の文化が息づいています。
今回は、その中でも今年見学した泉南市樽井地区の「やぐら」をご紹介します。
樽井の秋まつりとは?
泉南市樽井地区で毎年10月に開催される「秋まつり(やぐら)」は、泉州地域でも特に独自性の高いお祭りです。
岸和田のだんじりと並び称されることも多いこの祭りですが、実は構造もルーツも異なる別系統の曳山文化を持っています。

泉南や阪南のやぐらは、岸和田のだんじりとは全く違うルーツを持ち、江戸中期にはすでに泉南地域に定着していました。京都祇園祭の山鉾から奈良、和歌山そして泉南地域へ伝わってきた形を変えながら伝わってきたというという説が有力らしい。
さらに樽井のやぐらに関しては他の泉南・阪南地域のやぐらとは少し構造がちがい、梶台と呼ばれる二本の棒が後ろまで突き出しています。
なので太鼓をたたき方も、歩きながら太鼓をたたく他の地域のやぐらと比べ、樽井は梶台に座りながらたたきます。
四つの講が守る「樽井四講体制」
樽井地区の秋まつりは、泉州の中でも少し独特な仕組みで運営されています。
多くの地域では、やぐらを地区全体で共有して運行しますが、樽井では「講(こう)」と呼ばれる自治組織ごとにやぐらを持っています。現在、樽井には「獅子講」「宮元講」「戎福中講」「濱中講」の4つの講があり、それぞれが自分たちのやぐらを所有し、整備や運行、祭りでの儀式までをすべて自らの手で行っています。

樽井のやぐら文化の中で、特に興味深いのが「雄(お)やぐら」と「雌(め)やぐら」という独自の分類です。
これは単なる呼び名の違いではなく、地域社会の中に古くから息づく「陰と陽」「対の調和」といった考え方を、祭りの仕組みに組み込んだものだと考えられています。
| 講名 | 区分 | 位置づけ |
|---|---|---|
| 獅子講 | 雄 | 上のやぐら |
| 宮元講 | 雌 | 上のやぐら |
| 戎福中講 | 雄 | 下のやぐら |
| 濱中講 | 雌 | 下のやぐら |
樽井では、やぐらは上組と下組の2つに分かれており、それぞれに雄と雌のペアが存在します。
- 上組(上のやぐら):獅子講(雄)と宮元講(雌)
- 下組(下のやぐら):戎福中講(雄)と濱中講(雌)
こうした雄雌の区分は、見た目の装飾や細部の構造にも影響を与えているといわれます。
これら四台のやぐらは地元樽井の茅渟神社に宮入をします。
茅渟神社については別記事で公開しています。
>>【大阪】釣り人の聖地!四台のやぐらが宮入する爆釣祈願の茅渟神社
宮元講のやぐらを間近で見て
実際に宮元講のやぐらの近くに行くと、まずその高さ10mを超える迫力に圧倒されます。
近づいて見上げると、太鼓台には見事な龍や唐獅子の彫り物があり、地元の職人たちのプライドを見る事ができます。

このやぐらは明治初期に新調され、昭和62年に大修復が実施されたもの。
さらに令和元年にも駒(車輪)の新調が行われており、長い年月の中で何度も命を吹き返してきました。
やぐら最大の見所「回せ」
祭り最大の見所は、樽井駅近くの交差点に四講すべてのやぐらが集結し行われる「回せ」。

「回せ(まわせ)」は巨大なやぐらの車輪を軸に、その場で円を描くように勢いよく回転させる技です。
観客の歓声と鳴り物が空間を震わせ、樽井の街全体がひとつになる瞬間です。
今回は時間の都合上見に行くことができませんでした。
伝統を継ぐために:講と職人の力

やぐらは高さ10m超・重量数トンにおよぶ巨大構造物。
維持には莫大な費用と高い技術が必要です。
修理や新調は、泉州地域の地元工務店などが担っており、この地域ならではのやぐら専門技術の継承が続けられています。
泉州地域の多様性を見ることができた「やぐら」
正直、南大阪といえば「だんじり」一色だと思っていました。
しかし、泉南・阪南地域にはそれとはまったく異なるもう一つの秋祭りの世界がありました。

二輪のやぐらに込められた人々の誇りと技、そして四つの講が守り続ける伝統。
それは、同じ「泉州」という土の上で育まれた、もうひとつの大阪の魂だと感じました。
来年こそは4台のやぐらが集まって「回せ」をしているところを見に行きたいと思います。

