デリーで絶対に外せないのが、世界で最も高いレンガ造りのミナレット(塔)として知られる世界遺産「クトゥブ・ミナール」です。その存在感と、歴史に刻まれた「高さ」への執着は、訪れる価値がある場所だと思います。今回は、クトゥブミナールの歴史的背景と高さの歴史を紹介します。
クトゥブ・ミナールへのアクセスと入場時の注意点
オールドデリー方面から向かうなら、地下鉄(メトロ)の利用が便利です。最寄り駅はYellow Lineの「Saket(サケット)駅」。そこから徒歩、またはオートリキシャで遺跡に向かうことができます。
私はブラブラ徒歩で向かいました。

現地に到着してまず驚くのが、チケットカウンターの混雑です。インドの観光施設では「二重価格」が設定されており、現地の方々の窓口は長蛇の列でなかなか進みません。しかし、外国人専用のカウンターは非常に空いているため、ストレスなくスムーズに入場できるのが救いでした。
節ごとに表情を変える「世界一の階段状の塔」
敷地内に入ると、まず目に飛び込んでくるのが高さ72.5メートルの巨大な塔、クトゥブ・ミナールです。遠くから眺めると、まるで巨大な「つくし」の節のように階層が分かれているのが印象的。これは建設された時代や統治者が異なるため、階層ごとに建築様式が違うのです。

- 1層目
1199年にクトゥブッディーン・アイバクが着工。赤砂岩を用い、角型と丸型の溝が交互に並ぶ力強いデザインです。 - 2〜3層目
後継者のイルトゥトゥミシュが追加。2層目は丸型、3層目は星型の溝を持っています。 - 4〜5層目
後に落雷で損傷した際、フィールーズ・シャー・トゥグルクが再建。大理石が使われているため、下層部とは色が異なり、独特のコントラストを生んでいます。

間近で見上げると、その「強大さ」に圧倒されます。複雑に彫り込まれたアラビア語の碑文や幾何学模様は、単なる装飾を超えた威厳を放っています。
なぜ「高さ」を求めたのか?
クトゥブ・ミナールがこれほど高く作られた理由は、主に3つあります。
- 勝利の象徴(ヴィジャヤ・スタンバ)
イスラム勢力がヒンドゥー教の王に勝利したことを誇示するための「勝利の塔」としての役割。 - イスラムの軸(クトゥブ)
「クトゥブ」とはアラビア語で「軸」を意味します。新たな支配の精神的中心を示す指標。 - 監視塔としての機能
広大なデリー平原を一望できるその高さは、モンゴル軍などの侵攻を監視する軍事的な実用性も兼ね備えていました。

未完の巨塔「アラーイ・ミナール」と中央アジアへの繋がり
クトゥブコンプレックス内を歩いていると、もう一つ、巨大な岩の塊のような崩れた塔に出会います。これが「アラーイ・ミナール」です。

ハルジー朝の王アラー・ウッディーン・ハルジーは、自身の権威を誇示するため、クトゥブ・ミナールの「2倍の高さ(約145メートル)」を目指してこの塔の建設を開始しました。しかし、1層目の基部が完成したところで王が崩御し、プロジェクトは断念されました。

この「高さを競う」という野望は、遠く中央アジアにも影響を与えています。ウズベキスタンのヒヴァにある未完の塔「カルタ・ミナル」は、当時の支配者が「クトゥブ・ミナールの高さを超えること」を明確な目標にして建設を始めたと言い伝えられています。実際に、カルタ・ミナルの土台の直径(14.2メートル)は、クトゥブ・ミナールの基部(14.32メートル)とほぼ同じであり、当時の王たちがデリーのこの塔をいかに意識していたかが伺えます。
歴史の重なりを感じる空間
ヒンドゥー教徒の職人たちがイスラムの塔を建てるという、文化の融合から生まれたクトゥブ・ミナール。塔の表面には蓮の花などインド伝統のデザインも隠されており、非常に興味深い建築物です。

デリーの空に真っ直ぐそびえ立つその姿は、数々の地震や落雷を乗り越えてきた強さそのもの。歴史好きならずとも、その「垂直の美」をぜひ感じてみてください。
クトゥブミナールの入場・場所について
開園時間
- 通常時間
毎日、日の出から日没後まで開園。一般的な開園時間は午前7時から午後9時までで、最終入場は午後8時30分頃。 - ライトアップ
午後7時から午後9時頃まで、遺跡がライトアップされます。
入場料
入場料は、支払い方法(現金またはオンライン)や国籍によって異なります。オンライン予約の方が割引が適用されるため推奨されています。
| 区分 | オンライン予約 | 現金払い |
| インド人・SAARC加盟国・BIMSTEC加盟国 | 35ルピー | 50ルピー |
| 日本人を含むその他の外国人 | 550ルピー | 600ルピー |
| 15歳未満の子供 | 無料 | 無料 |
