世界遺産タージマハルがあるアグラから路線バスで約1時間半ほどで来ることができる世界遺産ファテープル・シークリー。
世界遺産ファテープル・シークリーは丘の上にたつ「モスク地区」と「宮廷地区」の二つのエリアで構成されています。
今回は「宮廷地区」にあるピラミッド状のパンチ・マハル(Panch Mahal)という建築を紹介します!
勝利の都ファテープル・シークリーの誕生
インド史に名を刻む建築パンチ・マハルは、ムガル帝国の旧都ファテープル・シークリーの宮廷地区にあります。16世紀、軍事や制度改革で大帝国を築いた皇帝アクバルは、世継ぎに恵まれず悩んでいました。そこで聖者サリーム・チシュティーを訪ね、男子誕生の予言を受けます。やがて第4代皇帝ジャハーンギールが生まれたことを機に、アクバルは感謝を示し新都建設を決意しました。それが「勝利の都」ファテープル・シークリーです。

都市は幾何学的に設計され、赤砂岩と白大理石が織りなすムガル建築が特徴。イスラムとヒンドゥーの様式を融合させ、宗教融和の理想を石造に表現しました。しかし都は14年で放棄されます。理由は深刻な水不足と酷暑。その結果、建築群は戦乱や開発を免れ、当時の理想を今に伝える貴重な遺産となりました。
パンチ・マハル五層の謎・建築の特異性と様式の融合
ピラミッド状の構造美
パンチ・マハルの最も顕著な特徴は、その非対称でピラミッド状の形。全体は地元産の赤色砂岩で築かれ、その開放的な構造は、建物全体に風通しを確保するように設計されている。

この「ピラミッド」の形態は、研究者によってインドの仏教寺院、特に仏教僧が瞑想を行った「ヴィハーラ(僧院)」の様式から強い影響を受けていると指摘されている。これは、イスラム教徒の皇帝アクバルが、多様な文化や宗教を尊重し、自身の統治に取り入れようとした姿勢を、建築を通じて具現化したもの。アクバルは、異なる宗教の要素を融合させることで、自身の支配が単一の宗教に限定されるものではないというメッセージを発信していた。この建築は、単なる機能の産物ではなく、アクバル帝の宗教融和政策を物理的に表現するものであったと解釈することができる。
「柱の館」の構造
パンチ・マハルのもう一つの決定的な特徴は、その壁が一切なく、全体が柱と梁だけで構成されている点。この建物は、最上階のドーム型屋根(チャトリ)部分を除き、完全に柱と梁で構成されている。この構造物を支える柱の総数は176本。

特に注目すべきは、最も広い地上階が84本の柱で構成されている点である。ヒンドゥー教において、数字の84は非常に縁起が良いとされている。この地上階の柱数が偶然の一致ではないという指摘は、アクバルの宗教的融合主義が、単に異なる建築様式を寄せ集めるだけでなく、ヒンドゥー教の象徴体系まで深く取り入れていた可能性を示唆する。この建築の細部が、支配者の政治的・思想的信条を静かに物語っています。
精緻な装飾
パンチ・マハルの柱は、単なる構造的な支柱ではなく、芸術的な傑作としても評価されている。実際に見学する事はできないが、各階の柱にはそれぞれにユニークで精巧な彫刻が施されていて、花柄や幾何学模様といったイスラムやペルシャ様式の特徴的なモチーフに加え、菩提樹の実のモチーフも見られるという。これらの彫刻は、ムガル朝の芸術家たちが、異なる文化圏の要素をどのように統合し、新たな建築様式を創り出していったかを示す貴重な例なのだそうだ。

下の表は、パンチ・マハルの各階における柱の数をまとめたもの。
パンチ・マハルの柱数と階層
| 階層 | 柱の数 | 備考 |
| 最上階(5階) | 4 | 頂上のドーム型東屋(チャトリ)を支える |
| 4階 | 12 | 外側の柱は二重に配置 |
| 3階 | 20 | |
| 2階 | 56 | |
| 1階(地上階) | 84 | 最大の階層。合計176本の柱を持つ |
壁のない構造の理由
「風の塔」としての機能
パンチ・マハルに壁がない最大の理由は、その建築的機能にある。この建物は、ペルシャ建築の伝統的な冷却システムである「バードギール」(風の塔)の役割を果たすように設計されたと考えられている。北インドの乾燥した酷暑に対応するため、パンチ・マハルは開放的な構造によって、自然な空気の流れを最大限に取り入れ、宮殿全体に涼しい風を送り込む仕組みになっていた。この仕組みは、この建築だけでなく、ファテープルシークリー全体が気候を考慮した革新的な都市計画のもとに建設されており 、パンチ・マハルは、このような広範な「パッシブ・クーリング」(自然冷却)の一部であった。これは、ムガル朝の建築家たちが、現代の建築科学に通じる高度な気候適応技術を持っていたことを示している。
プライバシーと通気性の両立
パンチ・マハルは現在、壁もスクリーンも存在しない姿で知られているが、元々は柱の間に精巧な石造りの透かし彫り(ジャーリー)が取り付けられていたのではないかと言われている。これらのスクリーンは、プライバシーを確保しつつ、風を通す役割を果たしていた。王室の女性たちは、外部からの視線を遮られながらも、涼しい風を楽しみ、周囲の景色やアヌープ・タラオで行われる催しを眺めることができたのかもしれない。

しかし、これらのジャーリーは現在ほとんど見られない。歴史的資料によると、19世紀後半から20世紀初頭にかけて行われた大規模修繕で、これらのスクリーンが撤去された可能性があるとのこと。この建物の目的や機能を把握するには、このような過去の改変を考慮しておかないといけない。
アヌープ・タラオとの関係
パンチ・マハルの正面には、アヌープ・タラオ(Anup Talao)という大きな池が配置されて、この池は、単なる景観要素ではありません。

蒸発冷却の原理に基づき、池の水面から気化した水分が、建物に吹き込む乾燥した熱い風を冷やし、同時に湿度を高める効果を生み出していたと考えられています。これは、建物単体だけでなく、周囲の景観や水利システム全体が一体となった、総合的な微気候制御の設計思想が存在していたことを示している。
※微気候
住宅とその周辺など、ごく狭い範囲で局地的に形成される気候のこと住宅とその周辺など、ごく狭い範囲で局地的に形成される気候のこと。
目的を巡る複数の説
パンチ・マハルの正確な用途に関する公式な記録は、現在まで発見されておらず、複数の説がある。

エンターテイメントと娯楽の場
最も広く受け入れられている説は、パンチ・マハルが王室のレクリエーション施設であったというものである。アヌープ・タラオに面した開放的な空間は、音楽会や舞踏会に最適で、王族や宮廷の人々が涼しい風の中で憩いのひとときを過ごす場であったと考えられる。
ハーレム(女性区画)の休憩所
この建物が「ゼナナ」(女性区画)に近接して配置されているので、王室の女性たち(皇后、妃、王女など)が主に使用したという説。前述のジャーリーは、女性たちが外部からの視線を遮られながらも、涼しい風や城塞、そして周囲の町の景色を楽しむことを可能にした。
展望台・観察の場
パンチ・マハルの各階は、柱の数が減るにつれて視界が広がる設計になっており、最上階からはファテープルシークリーの城塞や周囲の風景を一望することができた。このことから、皇帝や王族が景色を眺めたり、夜には星空を観測したりする「展望台」や「天文台」として使われたという説も存在する。
儀式的な空間
パンチ・マハルは、皇帝アクバルのヒンドゥー教徒の妃のために、太陽崇拝の儀式を行う場所として建てられたというものである。パンチ・マハルの用途が単なるレクリエーションに限らず、アクバルが自身の統治下で実践した宗教的寛容性を反映していた可能性を示唆する。
時を超えて語り継がれる傑作
パンチ・マハルは、その特異な建築様式と目的の多様性において、ムガル建築の中でも際立った存在。そのピラミッド状の開放的な構造は、視覚的な美しさだけでなく、北インドの酷暑に対応する高度な建築的知恵と、王室のプライバシーという社会的な要請を両立させた、複雑な問題に対する解答だった。この建物は、単一の機能に縛られない多目的施設として、またムガル朝の建築家たちが、気候と文化、そして政治的メッセージをどのように融合させていったかを示す生きた証拠として、今日までその価値を保っている。

パンチ・マハルは、イスラム、インド、そして仏教の様式を融合させたアクバルの統治哲学の物理的な象徴。そのデザインは、ファテープルシークリー全体の都市計画の一部であり、ムガル建築の進化に影響を与えたとされる 。
次から次へと出てくる疑問
パンチ・マハルの建築的特徴を知るうえで、インドの建築家たちの技術力の高さがわかりますが、このファテープル・シークリーは水不足で都を放棄されています。
そもそもモスク・宮廷のあるエリアは小高い丘の上で、アヌープ・タラオに貯めておく水をどのように確保し続ける予定だったのか。結果的に技術力が及ばず自然界に負けた「敗北の都」シークリーの世界遺産でした。
まだまだ調べたいことは山ほどありますが、今回はここまでにしておきます。
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