長崎県の離島、対馬には、他では類を見ない独特の建築物「石屋根倉庫」が点在しています。その重厚な石の屋根は、単なる貯蔵庫としての機能を超え、対馬の厳しい自然環境と、それに適応しながら暮らしてきた人々の深い知恵が凝縮された、生きた文化遺産です。この建築様式は、対馬の地理的・歴史的孤立性の中で、地域固有の資源と知恵が深く結びつき、独自の進化を遂げた結果であると考えられています。

対馬の石屋根倉庫の起源は明確ではなく、とても古い歴史を持つ建造物と伝えられています。古くから穀物や日用品の保管に利用されていて、その背景には、対馬の厳しい自然環境と、それに対する地元の人々の知恵が深く関係しています。
博多港より夜発の九州郵船のフェリーに乗り夜明け前に対馬に到着。夜明け前の到着にも対応しているレンタカー屋さんでレンタカーを借り、石屋根倉庫のある椎根集落へと向かいました。
石屋根倉庫の歴史と経緯
地元の人々は、火災や強風から大切な食糧や財産を守るため、母屋から離れた場所に頑丈な石葺きの倉庫を建てました。これは、生活空間と収納空間を分離することで、万一の火事の際に延焼を防ぐという、長年の経験から得られた知恵です。現代の防火・防災基準が確立される前から、対馬の人々は自らの知恵と労力で災害に立ち向かっていました。

対馬市厳原町椎根にある石屋根倉庫は、大正15年(1926年)完成とされる代表例の一つです。石葺き三段積みの入母屋造りで、その堅牢な構造は今も健在。地域住民によって大切に受け継がれ、活用されています。これは、誰かが設計したものではなく、地域の人々が長い年月をかけて工夫を重ねながら作り続けてきたものです。こうした倉庫には、地域に根ざした暮らしの知恵が受け継がれていることがよく表れています。
独特の建築構造とその知恵
石屋根倉庫の最大の特徴は、その名の通り、大型で厚い石板を直接屋根材として使用している点です。椎根の石屋根倉庫では、屋根の一段ごとに約4トンもの石が二枚ずつ用いられ、最上部にはそれらを固定するための石が幾重にも積み重ねられています。これらの厚い砂岩の板石は、対馬の浅海の島山から運搬されたと考えられており、地元で豊富に産出される石材を最大限に活用した、まさに地域適応型の建築です。

屋根だけでなく、柱の構造にも対馬独自の工夫が見られます。「平柱(ひらばしら)」と呼ばれる長方形断面の柱は、他地域には見られない特徴で、対馬の「コヤ」(倉庫の呼称)を代表する重要な構造部材です。さらに、倉庫全体が高床式に設計され、地面からの湿気や害獣の侵入を防ぎ、貯蔵物を良好な状態で保つ役割を果たしています。内部も効率的に利用され、米・麦・雑穀、衣類什物などが区画されて格納できるようになっています。

石屋根は、その堅牢さだけでなく、優れた防火機能も持ち合わせていました。火の粉が飛んできても屋根が燃え広がらず、万一内部で火災が発生した際には、屋根の石の自重によって建物が潰れ、周囲への延焼を防ぐ効果があったとされています。特に、空気が乾燥し、季節風が強く吹く冬季には、この防火機能が重要な役割を果たしました。

これらの建築様式は、対馬の厳しい自然環境と、地元で豊富に産出される石材の存在が複合的に作用して生まれたものです。国内に類似する建築物がないとされる特異性は、対馬が地理的に孤立していたがゆえに、外部の影響を受けず、地域固有の資源と知恵を最大限に活用して独自の進化を遂げた結果と解釈できます。屋根の製材や葺き上げといった重労働は、地域住民の協力のもと行われ、石屋根倉庫が集落共同体の結束を強めていたことがわかります。
なぜ対馬に石屋根倉庫が多いのか
対馬に石屋根倉庫が多い背景には、複数の地理的、歴史的、社会的な要因が複雑に絡み合い、相互に影響し合った結果と考えられます。
対馬の自然環境
年間を通して風が強く、特に冬期の西北の季節風は猛烈に吹き荒れます。このような環境下で、農産物や貴重品を保管する高床式の倉庫の屋根には、軽量な瓦よりも重量のある石材が最適でした。石屋根は、強風による倒壊を防ぎ、雨露から大切な食料を守るために、人々が自然発生的に考え出した技法であると言われています。

火災対策
家屋が密集する集落において、火災は壊滅的な被害をもたらす可能性があります。石屋根倉庫は、火災から食糧や財産を守るために母屋から離れた場所に建てられ、その不燃性によって延焼を防ぐ役割も果たしました。

歴史的・経済的な背景
過去には、農民に瓦屋根の建築が認められなかった時代があったという説も存在します。このような社会的な制約が、逆に地元で豊富に産出される厚い砂岩の板石「島山石」を屋根材として活用するきっかけとなりました。瓦の入手が困難であったり、制限があったりしたことが、地域固有の資源を活用し、他地域には見られない独自の建築様式を生み出したと解釈できます。

さらに、石屋根倉庫の建設は、地域共同体の強い絆によって支えられていました。石屋根の建設は重労働であり、島内で産出される石材の運搬や加工、葺き上げには地域住民の協力が不可欠でした。石屋根倉庫は、まさに集落の社会的結束の象徴であり、人々が助け合い、生活の糧を守り、嵐をしのぐ場所として機能してきたのです。

これらの要因が複合的に作用した結果、対馬の石屋根倉庫群は、日本国内でも珍しい「群倉(ぐんぐら)」の文化とともに、対馬固有の風土と生業によって成立した「文化的景観」として高い価値を持つに至りました。特に、石屋根倉庫が対馬下島西岸域に多く見られるのは、この地域に沖積平野が多く耕作地が広がっていたこと、年間暴風日数が多いこと、石材が豊富だったこと、そして農業を主な生業とする集落が多かったことなど、地理的・生業的な要因が複合的に作用した結果であると分析されています。
日本における石屋根建築の広がり:対馬の特異性と「石置屋根」
日本国内において、対馬の石屋根倉庫は極めて特異な存在です。大型の石板を直接屋根材として使用する建築様式は、国内の他の地域には類似するものがなく、その独自性が際立っています。

一方で、日本には「石置屋根(いしおきやね)」と呼ばれる、屋根に石を置く建築様式も存在します。しかし、これは対馬の「石屋根」とは構造的に明確な違いがあります。石置屋根は、木製の板を屋根材とし、その木板が強風で飛ばされないように、石を「重し」としてその上に並べて固定する工法です。つまり、石は屋根材そのものではなく、屋根材を固定するための補助的な役割を担っています。これに対し、対馬の石屋根は、板状に加工された石そのものが屋根の主要な構成要素として機能しています。

石置屋根は、主に江戸時代初期に用いられ、当時は針金や釘などの金物が豊富に使用できなかったため、石で板を固定するという工夫が凝らされました。しかし、明治時代中期には防火を目的とした「家屋制限令」が施行され、板葺き石置屋根が禁止されたことで、その後は瓦屋根が普及し、現在ではその姿を見ることはほとんどありません。

これらの事例から、日本各地に石を用いた屋根建築が存在するものの、対馬の石屋根が「類似物がない」と評されるのは、その建築技術が対馬の風土と資源に極めて特化して発展した結果であり、外部からの影響が少なかったことの証左であると言えます。石置屋根が社会の変化や法規制によって衰退した歴史的経緯は、建築技術の進化と社会の変遷が伝統的な建築様式に与える影響を示しています。対馬の石屋根が現代まで残存していることはとても貴重なのです。
対馬に現存する石屋根倉庫の現状と未来:失われゆく文化遺産を守るために
対馬の石屋根倉庫は、その類まれな文化的価値にもかかわらず、現在、その数が急速に減少するという危機的な状況に直面している。2015年の調査結果によると、対馬全域で現存する石屋根倉庫は、わずか47棟に過ぎません。これは、1978年には245棟、2006年には63棟であったことを踏まえると、この約40年間で約8割以上もの建物が失われたことを示しており、文化遺産が消滅の危機に瀕しています。
| 年次 | 現存棟数 |
| 1978年 | 245棟 |
| 2006年 | 63棟 |
| 2015年 | 47棟 |
※数字はネット上の資料を参考にしています。正確な数字は自治体にお問い合わせください。
長崎県の有形文化財に指定されている対馬市厳原町椎根の石屋根倉庫群は、この地域独特の景観を形成する重要な要素です。しかし、多くが個人の所有であるため、内部の見学ができないという課題も存在します。

石屋根倉庫の減少には複数の要因が絡み合っています。まず、石屋根の造営や補修は重労働であり、現代における集落組織の衰退により、作業を行うことが困難になっています。また、瓦材の流通が進んだことで、石屋根から瓦屋根への転換が進んでいることも大きな要因です。さらに、かつて採石を行っていた石工がいなくなったため、新たな屋根石の入手が困難になっている。これらの要因に加え、庭石や敷石としての需要や、後継者不在による石屋根自体の撤去も減少を加速させています。

現在も一部の石屋根倉庫は、穀物や衣類などの保管場所としてその機能を維持しています。また、近代的な補修が施されながら、風雨に耐え、その姿を保ち続けているものもあります。

将来的的に、石屋根倉庫群とそれらが織りなす農村風景を次世代に継承していくために、地域住民、行政、研究機関が一体となって取り組むことが不可欠です。「景観の変容のあり方までを踏まえた保存・保全の手法が未だ確立していない」という専門的な課題が指摘されており、文化的景観としての価値を具体的に提示し、実践的な保存・保全の手法を確立することが喫緊の課題です。石屋根倉庫の保存は、単なる歴史的建造物の維持に留まらず、地域固有の景観を守り、地域共同体の再構築、ひいては観光促進や文化伝承を通じた地域活性化に繋がる可能性を秘めています。
場所はコチラ
周辺には駐車場がないので、地元の方の迷惑にならないよう見学しましょう。
