青森市内でレンタカーを借りて日本の北のはずれ、青森県に位置する恐山に行きました。恐山は、古くから霊場として名高く、仏教における死後の世界観が具現化された場所として知られています。その中でも特に印象的だったのが、「三途川(さんずのかわ)」でした。
増水した清流、渡れぬ橋
僕が訪れた日は、線状降水帯による大雨が降った直後で、三途川は普段よりも大きく増水していました。川の水は、雨の後にもかかわらず驚くほど透き通り、底まで見えるような清らかさ。しかし、残念ながら三途川にかかる橋は修理中で、しかも川が増水していたため、渡ることができませんでした。まるで、まだこの世に留まるべきと、三途の川を渡ることを拒否されているようでした。

地理的な三途川
恐山の三途川は、宇曽利山湖(うそりやまこ)に注ぎ込む正津川(しょうづがわ)の一部を指します。

宇曽利山湖は、恐山からの硫黄分を多く含む水の流入により、pH約3.5という極めて強い酸性を示す稀有な湖です。この過酷な環境は、一般的な生物の生息を許しません。
しかし、宇曽利山湖にはこの特殊な環境に適応し、独自の進化を遂げた生命が存在し、最も知られているのはウグイです。ウグイの他には湖底に酸性環境に強い特殊なバクテリアが生息し、分解活動を通じて湖の生態系を支えています。さらに、ウグイの餌となる酸性耐性を持つプランクトンも存在してユニークな生態系になっています。
仏教的な三途川とその意味
仏教において三途川は、死者が冥土へ向かう途中で渡るとされる川です。この川は、生前の行いによって「山水瀬(さんすいぜ)」「江深淵(こうしんえん)」「有橋渡(うきょうと)」のいずれかの渡り方が異なるとされています。善行を積んだ者は橋を渡り、軽い罪の者は浅瀬を渡り、重い罪の者は深淵を泳いで渡ると言われています。恐山の三途川は、まさにこの仏教的世界観を体現している場所なのです。

僕の場合は三つ目の江深淵で、知らず知らず重罪を犯しているのかもしれません。
三途川の番人、奪衣婆
三途川のほとりには、「奪衣婆(だつえば)」という老婆が待っているとされています。奪衣婆は、川を渡ろうとする死者の衣服を剥ぎ取り、その衣服の重さによって生前の罪の重さを量ると言われています。剥ぎ取られた衣服は、隣にいる懸衣翁(けんえおう)という老人が、衣領樹(えりょうじゅ)という木にかけ、その枝の垂れ具合で罪の軽重を測るとされています。奪衣婆の存在は、死後の世界における厳正な審判を象徴しており、生前の行いの重要性を教えてくれます。

天国か地獄かを判断する閻魔の判決の前段階。現世の裁判でいう検察のような役割。

三途川を含めた恐山という場所は、生と死について深く考えさせられる場所です。増水した川を渡れなかったことは、ある意味で僕にとっての戒めとなり、これからどのように生きるべきかを問いかけられているようでした。恐山は、単なる観光地ではなく、自身の生と死、そして倫理観と向き合える場所だと思います。
