ベイトサフール

ベツレヘムの街中にあるバンクシー作品を探している最中、偶然見つけた綺麗な街。
今回はベツレヘムに隣接する石造りの美しい街「ベイト・サフール(Beit Sahour)の旧市街地」の紹介!

ベイト・サフールとは?「羊飼いの野」に寄り添う歴史の町

パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区にあるベイト・サフールは、「羊飼いの野」に隣接する、歴史と伝統が息づく町。
古い石造りの家々が連なる街並みは息をのむほど美しく、その静かな佇まいに心を奪われます。

ベイト・サフールの街並み
ベイト・サフールの街並み

しかし私が最も印象を受けたのは、石壁の中に突如現れる青・赤・黄・緑のカラフルなドアたち、そして街角に掲げられた日本の国旗と国連旗(UNDP)の看板でした。

なぜこの小さな歴史都市に日本の旗が?
そしてなぜ、街がこれほど美しく保たれているのか?
その背景には、ベイト・サフールの人々の強い想いと、日本の支援がありました。

キリスト教の伝統と「スームド」の精神

ベイト・サフールはベツレヘムの東側に位置します。
これは、新約聖書で天使がイエス・キリストの誕生を羊飼いに告げたとされる「羊飼いの野」に由来しています。

ベイトサフール羊飼いの野周辺
ベイト・サフールの街からの眺め

人口の約8割がキリスト教徒というこの町には、青銅器時代まで遡る歴史の痕跡が残ります。
単なる観光地ではなく、ベイト・サフールは「非暴力の抵抗運動の町」としても知られています。
困難の中でも自らの文化と暮らしを守り続ける精神は、パレスチナ語で「スームド(Sumud)」揺るがぬ忍耐と誇りを体現しています。

統一された石造りの美しさの秘密

旧市街を歩くと、石灰岩で造られた建物が並び、全体が統一された印象を受けます。
しかしこの景観は、自然に残されたものではありません。

ベイトサフールの街並み
街にはパレスチナ国旗が掲げられている

かつて旧市街は老朽化が進み、住民の離散によって荒廃していました。
そこでベイト・サフール自治体とベツレヘム文化遺産保全センター(CCHP)は、「文化的アイデンティティの保護と強化」を目的に修復プロジェクトを開始。

ベイトサフールの街並み
カラフルで模様の入ったドアたち

外壁のクリーニングや修復、ドアや窓の再塗装などを行い、現在の技術をつかい街を蘇らせました。
その結果、建築物の寿命は20年以上延び、街は再び人々の誇りを取り戻しました。
今目にするこの美しい街並みは、行政と国際社会が協力して築いた努力の風景なのです。

5色のカラフルなドアが示す意味

伝統に根ざす色彩の意味

旧市街のあちこちに並ぶ青、水色、緑、黄色、赤のドア。
この色づかいには、古くからの文化的意味があります。

ベイトサフールの街並み
水色のエリア

青や水色は、地中海沿岸地域で邪視(Evil Eye)を避ける魔除けとして用いられ、
緑は平和と豊穣、赤は情熱と抵抗、白は愛と平和を象徴します。

ベイトサフールの街並み
緑色のエリア

それぞれの色は、パレスチナの人々が大切にしてきた心の象徴でもあります。

現代アートとしての「5色コード」

街を歩いていると、エリアごとにドアの色が変化していることに気づきます。
これは偶然ではなく、地元の若手アーティストたちが導入した「現代的デザインコード」。

ベイトサフールのスーク
街にあるスーク

「MishwArt(ミシュワート)」と呼ばれるプロジェクトの一環として、閉ざされていた店舗のドアをカラフルに彩り、旧市街全体を屋外ギャラリーへと変えていったのです。

5色のドアは単なる装飾ではなく、街をゾーンごとに識別できる「ウェイファインディング・システム(※)」としても機能しています。
石の壁が過去を語るとすれば、カラフルなドアは再生未来を象徴しているのです。

※ウェイファインディング(Wayfinding)
人が目的地まで迷わずにたどり着けるように導く仕組みやデザインのことです。

日本の国旗が示すもの、修復と平和の回廊

「ベツレヘム2000」プロジェクトと日本の支援

街中で見つけた日本と国連(UNDP)の旗が掲げられた看板。
そこには、「ベツレヘム地域の歴史的・考古学的遺跡の修復と復旧」と記されていました。

Bethlehem 2000
街の中心部にあった石碑

この修復は、1998年に始まった「Bethlehem 2000」プロジェクトの一環。
日本政府が資金を提供し、国連開発計画(UNDP)とパレスチナ観光・考古省が協力して実施したものです。

ベイトサフールの広場
ベイトサフールの街にある広場

古い街並みを保存しつつ、住民の生活環境を改善し、観光を促進する狙いがありました。
この一連の活動が、今も街の人々の暮らしを支えています。

日本の「人間の安全保障」と文化支援

日本は1993年のオスロ合意以降、パレスチナに対し継続的な政府開発援助(ODA)を行い、総額22億ドル以上(2022年時点)を支援しています。

その理念の中心にあるのが「人間の安全保障」。
文化遺産の保護や観光振興を通して、住民の誇りと経済的安定を支えるという考え方です。

ベイトサフールの子供達
街の子供達

この方針は、日本が提唱する「平和と繁栄の回廊」構想にもつながっています。
中東地域における持続的な平和と発展を目指す外交戦略の一環として、日本はベイト・サフール周辺のインフラ整備や医療支援にも力を入れています。

たとえば、UNDPを通じて近隣の病院に医療機器を送るなど、生活に直結する支援を続けてきました。

歴史と希望が交差する街、ベイト・サフール

ベイト・サフール旧市街は、伝統的な石造りの建物が国際的な協力によって修復され、さらに現代アートによって息を吹き返した、「歴史と未来が共存する街」です。

ベイトサフールの街並み
紺のドアのエリア

統一された石壁は、国際社会と日本の支援の証。
そしてカラフルなドアは、占領下でも希望を失わない人々の「スームド(Sumud)」揺るがぬ忍耐と誇りの象徴です。

ベイトサフールのエリア
黄色いドアのエリア

ベツレヘムを訪れる際は、ぜひ足を延ばしてみてください。
石壁が語る過去と、ドアに宿る未来の色、そしてそこに静かに寄り添う日本の支援の痕跡を感じることができるでしょう。

ベツレヘムのバンクシー作品の場所を紹介した記事はコチラ

場所はコチラ

ベツレヘム市街から歩いても行ける距離です。

投稿者 iryota_gram

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