堺市民なら「土塔(どとう)」という地名を一度は耳にしたことがあるはず。しかし、実際にその場所に立派な遺跡が再現されていることを知っている人は、案外少ないのではないでしょうか。
私も先日、たまたま「土塔町公園」に立ち寄ったのですが、そこで目にした光景に驚きました。住宅密集地の中に突如として現れるその姿は、まさにピラミッド!今回は、この謎多き遺跡「土塔」について紹介します。
堺の住宅街に潜む「日本のボロブドゥール寺院」
土塔がある土塔町公園は、住宅街の奥まった場所に位置しています。普段、外部の人が通り抜けるような場所ではないため、まさに「知る人ぞ知る」スポットといえるでしょう。

公園に足を踏み入れると、一辺が約53.1メートル、高さ約9メートルという巨大な四角錐の構造物が姿を現します。この土塔がつくられたのは、なんと奈良時代の神亀4年(727年)頃。あの法隆寺の五重塔とほぼ同時期というから驚きです。

一般的な仏塔は「高ければ高いほど良い」とされ、木造で空高くそびえ立つのが普通ですが、土塔は13層ありながら高さは10メートル足らず。その独特なシルエットは、仏塔というよりもインドネシアのボロブドゥール寺院を彷彿とさせます。
6万枚の瓦で土を守る!驚きの特殊構造
土塔は単に土を盛っただけではありません。その表面は膨大な数の瓦で覆われていました。

発掘調査によると、各層の水平な面だけでなく、垂直の段差部分(壁面)にも瓦を立てて並べることで、風雨による土の浸食や崩落を防いでいたことが判明しています。使用された瓦の数は、実に約60,000枚にものぼると推定されています。

この「土と瓦を組み合わせる」という工法によって、1300年以上もの間、その形が現代まで守られてきたのです。
なぜ木造ではなく「土」で造られたのか?
日本に数ある仏塔の中で、土を主材料としたものはこの「土塔」が唯一の例です。なぜ行基が土を選んだのか、その明確な理由は記録に残っていませんが、そこには「民衆のパワー」が隠されていました。

土を運び、盛り、固める作業は、高度な技術を持つ大工がいなくても、信仰心を持つ多くの人が集まれば成し遂げられる「共同作業」です。実際、土塔からは僧侶から一般市民まで多くの名前が刻まれた「文字瓦」が1,300点以上も見つかっており、あらゆる階層の人々がこの塔の建設に関わっていたことがわかっています。
13層目のお堂が実物にない理由
公園内のジオラマを見ると、最上階には木造のお堂が描かれています。しかし、実際の復元された土塔にはお堂がありません。

発掘調査では、最上部に建物があった証拠として「直径約6メートルの円形の粘土跡」や「陶製の相輪(屋根の飾り)の破片」が見つかっており、お堂があったこと自体は間違いなさそうです。
しかし、建物の具体的な柱の配置や屋根の形といった詳細までは特定できませんでした。文化財の復元には「確実な根拠が必要」という学術的なルールがあるようで、不確実な推測での建設を避け、12層目までの再現に留められたと思われます。

個人的には不確実であろうと最上階のお堂を再現してほしかったなと思います。
あるとインパクトもだいぶ変わると思うのです。
公園全体が「土塔」モチーフ!
土塔町公園内を歩いてみると、あずまや(休憩所)の屋根やオブジェなども、土塔をモチーフにしたピラミッド形状になっています。

また、復元された土塔は、半分が完成当時の「瓦葺き」の姿、もう半分が内部構造をイメージした「芝生敷き」になっており、構造を視覚的に学べる工夫が凝らされています。

アクセスと利用案内
車で訪れる場合も、公園内にある駐車場(墓地用と共用)が無料で利用可能です。
- 利用時間: 9:00 ~ 17:00
- 料金: 無料
- 駐車場: あり(無料)
身近な場所にある、日本で唯一の貴重な遺跡。行ってみると意外と満足感のある、この「堺のボロブドゥール」をバケットリストに入れてみては。
(※記事内の写真は2025年3月に私が実際に撮影したものを利用しています。)

