幼い頃絵本やゲームの世界でしか見たことが無かった街並みな実在している事を知り、エストニアへ行ってきました。
エストニア・タリン旧市街の象徴である城壁と赤い屋根の塔を紹介します。
タリンまでの道のり
私の旅路は、まず上海経由の中国東方航空でフィンランドのヘルシンキへ。そこからヘルシンキ港でエケロライン(Eckerö Line)のフェリーに乗り換え、バルト海を渡ってタリン港へと到着しました。港から旧市街へは歩いてすぐの距離です。

滞在先のホテルが旧市街を挟んで反対側にあったため、荷物を置きがてら旧市街を横切ってみることにしました。そこで最初に出迎えてくれたのが、タリン防衛の要であった巨大な塔でした。
港の守護神「太っちょマルガレータ」
港から歩いて最初に目に入るのが、「太っちょマルガレータ(Paks Margareeta)」と呼ばれる塔です。見た目は大きなケーキのホールのような円柱型で、その愛称の通りタリンで最も太い塔として知られています。
分厚い強固な壁
1511年から1530年にかけて、港からの侵入者を威圧するために建設されました。直径は25メートル、高さは約20メートルに及びます。特徴としてはその壁の厚さで、最大で5メートルに達し、中世のいかなる大砲攻撃にも耐えうる設計でした。

歴史の変遷:防御から博物館へ
かつては大砲が置かれ、後に火薬庫や武器庫、さらには監獄としても利用されました。1917年のロシア革命時には暴力的な暴動の舞台となった悲しい歴史もありますが、現在はエストニア海洋博物館として、帆船や造船の歴史を伝える場になっています。

「塔の広場」から見る連なる塔
旧市街の西側にある「塔の広場(Towers’ Square)」公園からは、中世の面影をそのまま残す塔が並んで見える景色を楽しめます。城壁と円柱、そして赤い円錐形の屋根が合体した塔の姿は、幼い頃に絵本で見た世界そのものでした。
ヌンナ塔(Nun’s Tower / Nunnatorn)
1311年から1320年にかけて建設された馬蹄形の塔で、名前は隣接していたシトー会聖マイケル尼僧院の尼僧たちに由来します。直径は約10メートル、高さは約25メートルあり、下層階にはかつて粉挽き場や火薬庫、穀物倉庫としての機能もありました。

サウナ塔(Sauna Tower / Saunatorn)
ヌンナ塔の隣に位置するこの塔は、その名の通り聖マイケル尼僧院のサウナが近くにあったことから命名されました。14世紀に建てられたこのエリアの塔群は、現在でも保存状態が非常に良く、一部の区間は城壁の上を歩いて移動することが可能です。

クルドヤラ塔(Golden Leg Tower / Kuldjala torn)
「黄金の足」という優雅な名を持つこの塔は、14世紀に建設されました。かつては最上階の周囲に「ホーディング(Hoarding)」と呼ばれる、壁からせり出した木製の防御用ギャラリーを備えていたのが特徴です。

レーヴェンシェデ塔(Loewenschede Tower)
14世紀末に当時のタリン市長であったヴィナント・レーヴェンシェデの名にちなんで建てられました。塔の広場から見える四連の塔の最後を飾る存在感のある塔です。

ラボラトゥーリウミ通りの個性的な塔たち
塔の広場からさらに北側、城壁の内側に沿って走るラボラトゥーリウミ通り(Laboratooriumi tn)は、聖オレフ教会の尖塔を背景に塔が並ぶ、非常に絵になるエリアです。
コイサマエ塔(Köismäe Tower / Rope Hill Tower)
1360年代に建設された、タリンで最も古い部類の塔の一つです。名前の「Köismäe」はエストニア語で「ロープの丘」を意味し、かつてこの場所の近くに船のロープを作る工場(ロープ製造所)があったことに由来します。当初は3階建てでしたが、16世紀には銃火器の普及に合わせて壁が厚く改修され、現在は5階建て、高さ26.5メートルの立派な塔となっています。

プレート塔(Plate Tower)
1401年から1410年にかけて建設された3階建ての塔で、当時の塔の責任者であったヘルボード・プレート(Herbord Plate)の名から名付けられました。高さは24メートル、直径は9.75メートルあり、完全な円形ではなく、都市側(内側)が少し切り取られたような形状をしています。

グルスベケ塔(Grusbeke-tagune Tower)
プレート塔の北側に位置するこの塔は、15世紀初頭に一気に建設されました。名前は近隣の土地所有者の名前にちなんでいます。内部にはかつて13メートルの高さを持つ弾薬庫があり、上層階には「ガルデローブ」と呼ばれる外に突き出したトイレが備えられていた歴史的な記録も残っています。

なぜタリンの塔は「赤い円錐形」なのか?
タリンの景観を特徴づけている赤いタイル葺きの屋根には、軍事的な理由がありました。
14世紀頃までの塔は、頂部が開放されたプラットフォームになっており、そこから大型の投石機などで石を投げていました 。しかし、15世紀末に大砲などの火器が主流になると、大砲や火薬を雨から守り、兵士を敵の射撃から保護するために恒久的な屋根が必要となりました。

これにより、現在見られるような赤い円錐形の屋根が標準的な装備となったのです 。雪の多いバルト海の冬において、この急勾配の屋根は防衛機能を維持するための重要な建築学的進化でした。
権威の象徴「のっぽのヘルマン」とその他の名物塔
のっぽのヘルマン(Tall Hermann / Pikk Hermann)
ホテルの行き帰りに毎日眺めていたのが、トームペア城の角にそびえるこの巨大な塔です。建設は1360年に始まり、16世紀には現在の45メートルの高さにまで達しました。塔の頂上には毎日、日の出とともにエストニア国旗が掲揚され、国歌が演奏される、エストニアの独立と権威の象徴です。

エッピング塔(Epping Tower)
1530年に完成した6階建て、高さ20メートル以上の塔です。18世紀までは当時の姿を保っていましたが、ソ連時代にはKGB(秘密警察)や内務省のボイラー室として使われ、内部に鉄筋コンクリートの床が作られるという独特な歴史を歩みました。

乙女の塔(Maiden’s Tower / Neitsitorn)
「デンマーク王の庭」に位置し、他の塔とは異なり内側が開いた四角形の形状をしています。かつて売春婦の監獄として使われたという伝説からその名がつきましたが、現在はカフェとして親しまれています。

ブレーメン塔(Bremen Tower)
旧市街の東側に位置する、全く円柱型ではない独特な形状をした塔です。1435年頃には市の監獄として使われており、壁には囚人を繋ぐための鉄のリングが今も残されています。

旧市街のシンボル「ヴィル門」と花の小道
旧市街の東側に位置する「ヴィル門(Viru Gate)」は、現在ではタリン観光の起点として、多くの人々を迎え入れる「守護者の入口」となっています。
中世と現代をつなぐ「双子の塔」
14世紀に建設されたこの門は、かつては巨大な主塔や跳ね橋を備えた複雑な防御施設の一部でした。現在残っている印象的な2つの円柱状の塔は、実は門全体のごく一部である「前門(barbican)」の跡です。

近代化の波を乗り越えた歴史
19世紀、街の交通をスムーズにするために多くの門が解体されました。ヴィル門の主塔も1843年に取り壊され、1888年には路面電車を通すために周辺の施設も姿を消しました。しかし、この美しい2つの角塔だけは保存され、今もなお中世の面影を私たちに伝えています。門のそばには色鮮やかな花市場が並び、タリンで最も賑やかでフォトジェニックなエリアです。

旅の終わりに:中世を歩く贅沢
タリンの旧市街は、1997年にユネスコ世界遺産に登録されました。かつて2.4キロメートルの長さを誇り、46もの塔が並んでいた城壁も、現在は約1.85キロメートル、26の塔が残るのみです。
それでも、保存状態の良さは北欧でも随一。ただ眺めるだけでなく、実際に登り、触れることができるタリンの城壁。あなたも「絵本の中」へ迷い込むような体験をしてみては?
