【長崎】対馬レンタカーで訪れた「豊砲台跡」、30分間だけ灯る薄暗い地下要塞の恐怖

豊砲台跡

国境の島、長崎県対馬。 レンタカーを走らせて対馬を北上し、島の一番北側にある近代化遺産「豊砲台跡(とよほうだいあと)」へ行きました。

鬱蒼とした自然と海に囲まれた静かな場所に、かつて日本海海戦の舞台となった海峡を睨むように作られた巨大な要塞が今も眠っています。

今回は、実際に一人で現地を訪れて感じたリアルな空気感とともに、豊砲台の歴史や構造について紹介します。

海沿いから山を登った突き当たりへ|豊砲台跡へのアクセス

豊砲台跡があるのは、対馬最北端の上対馬町鰐浦(豊地区)。比田勝(ひだかつ)港からは車で約20分ほどの距離にあります。

海沿いのあぜ道のような細い道路を進み、そこから少し山を登っていきます。突き当たりまで進むと、砲台の入口前に車が2〜3台ほど停められる小さな駐車スペースがありました。

30分間だけ灯る明かり|一人で歩く地下要塞のリアルな静けさと恐怖

豊砲台の本体は、山の地形を活かして作られた地下空間にあります。入口は、駐車場のすぐ目の前にある崖にぽっかりと開いたコンクリートの開口部です。

対馬豊砲台の入口
豊砲台の入口

この施設は無人のため、普段は照明が一切ついておらず真っ暗です。見学する際は、入口に設置されている「30分間点灯するタイマー式照明スイッチ」を自分で押して中に入ります。

入口左にある照明スイッチ
入口左にある照明スイッチ

カチッとスイッチを入れて一歩足を踏み入れると、外の空気とは一変して肌寒く、ひんやりとした湿気が漂ってきます。

内部は、無機質なコンクリートで覆われた部屋や通路がいくつも連なる地下迷宮のような構造です。かつて主機関室として100馬力のディーゼルエンジンや水圧ポンプが置かれていた部屋、弾薬を運び上げるための巻揚機室などが、当時のコンクリート肌のまま残されています。

豊砲台内部
豊砲台内部

ここで激しい地上戦が行われたり、多くの人が亡くなったりしたという記録はありません。無人の地下空間に一人きりで立つと、足音だけが反響し、得体の知れない強い恐怖がこみ上げてきます。一人で訪れると、正直かなり怖さを感じる場所です。

豊砲台内部
何か機械が置かれていた部屋

背筋を凍らせながら、目的地である「主砲が置かれていた円形の空間」を目指して早足で通路を奥へと進みました。

巨大なコンクリートの筒と見上げる空|砲塔跡の圧倒的スケール

薄暗い通路を抜けると、視界が一気に開けました。 そこが主砲を収めていた「砲塔井(ほうとうせい)」と呼ばれる場所です。

豊砲台砲塔井
豊砲台砲塔井

見上げると、ぽっかりと丸く蓋の空いた大きなコンクリートの筒のような空間が広がり、空が見えました。

ここは、戦艦の主砲塔を丸ごと収めるために岩盤を垂直にくり抜いて作られた巨大な竪穴です。周囲を取り囲むコンクリート擁壁は、発砲時の凄まじい衝撃に耐え、敵の砲撃や爆撃を跳ね返すために約3メートルもの厚みで頑丈に作られています。

吹き抜けから風が吹き抜ける独特の静寂と底知れぬ迫力に恐怖感を感じ、長居することはできず、見終えると足早に出口の外へ戻りました。

豊砲台の歴史|巡洋戦艦「赤城」の40cm巨砲を陸上へ

この巨大な砲台には、どのような歴史があったのか。

巡洋戦艦「赤城」の主砲を移設

第一次世界大戦後、ワシントン海軍軍縮条約によって建造中止となり、航空母艦へと改造されることになった天城型巡洋戦艦「赤城」。 この赤城に搭載される予定だった二番主砲塔を海軍から陸軍が譲り受け、陸上要塞として据え付けたのがこの豊砲台です。 昭和4年(1929年)に着工し、約5年の歳月をかけて昭和9年(1934年)に完成しました。

豊砲台の射程距離
射程は対馬海峡のちょうど半分ほどの距離

重さ約1トンもの砲弾を30km以上先まで飛ばす能力を持ち、対馬海峡・朝鮮海峡を通過する敵艦隊を封鎖することを目的としていました。

実戦で一度も撃たれなかった「撃たずの砲台」

約10年間の運用期間中、試射射撃こそ約50発行われたものの、実戦で敵艦に向けて発砲することは一度もありませんでした。そのため豊砲台は「撃たずの砲台」とも呼ばれています。しかし、海峡の要衝にこのような長大な射程と破壊力を持つ巨砲が存在していたこと自体が、敵艦隊の接近を阻む強力な軍事的抑止力として機能していました。

戦後の解体と八幡製鉄所

昭和20年(1945年)の終戦後、進駐してきた米軍によって爆破処分が試みられました。しかし、厚さ2〜3メートルにおよぶ鉄筋コンクリート壁はあまりに強固で、米軍の爆破をもってしても破壊し尽くすことはできませんでした。現在もほぼ当時の形で遺構が残っているのはそのためです。

豊砲台爆破
爆破を試みたであろう場所

一方、取り外された巨大な砲身などの金属資材は解体・搬出され、北九州の八幡製鉄所へ運ばれて熔解され、戦後の復興資材として再利用されました。

地上基地に巨砲を据える意味|イージス・アショアに通じる「本土防衛」の思想

現地で巨大な砲塔跡を見上げたとき、ふと思い浮かんだのが現代の防空システム「イージス・アショア」のことでした。

戦艦の強力な主砲を陸上の要塞に据え付け、海峡を封鎖して敵の侵入を防いだ豊砲台。最新鋭のイージス艦に載せるレーダーやミサイル発射装置を地上基地に配備し、弾道ミサイルから国土を守ろうとしたイージス・アショア。

時代やテクノロジーは全く異なりますが、艦艇用の強力な兵器システムを地上の要衝に配備し、国土を防衛するという思想には共通するものを感じさせられます。

国境の島として防衛の最前線に立ち続けてきた対馬の歴史が、現代の安全保障の課題とも重なって見えてくる印象深い場所でした。

まとめ:豊砲台跡を見学する際のポイント

対馬の豊砲台跡は、他地域の要塞跡のように現代的な改変や塗装が施されることなく、当時のコンクリート肌や重厚な空気感がそのまま残されている貴重な近代土木遺産です。

見学に訪れる際は、以下の点に注意!

  • 足元・照明
    入口に30分タイマー照明がありますが、奥まった場所は薄暗いため、スマートフォンのライトや懐中電灯があると安心です。
  • 服装
    地下内は外気よりもひんやりと冷え込んでいます。また床面が湿っている場合があるため、歩きやすいスニーカーと羽織るものが1枚あると便利です。
  • 複数人での訪問がおすすめ
    一人で訪れると本当に静かで薄暗く、独特の怖さがあります。心細い方は複数人で訪れることをおすすめします。

豊砲台跡のリール動画はコチラ

(※記事内の写真は2023年10月に私が実際に撮影したものを利用しています。)

投稿者 iryota_gram

大阪府出身の男、サラリーマン。 学生時代から旅を始め、旅歴は約20年。アジアを中心に歩き回っています。 保有資格:二級小型船舶免許、普通二輪免許、二級施工管理技士(建築)

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