デリー観光の目玉、フマユーン廟。その入口でチケットを購入し、ブ・ハリーマ門(Bu Halima’s Gate)をくぐろうとしたその時、右手にふと目をやると、緑の中に静かに佇む美しい廟が見えてきます。それが、イサ・ハーン廟です。
多くの人がそのままフマユーン廟へ直進してしまいますが、ここにはムガル建築へと繋がる重要な歴史と、色彩美が存在します。
イサ・ハーン廟とは?アフガン貴族の「楽園の避難所」
この廟に眠るのは、16世紀半ばに北インドを支配したスール朝(Sur Dynasty)の有力な貴族、イサ・ハーン・ニアズィ(Isa Khan Niazi)です。彼は当時、シェール・シャー・スーリー(※)の宮廷で高い影響力を持っていました。

碑文によれば、この廟は西暦1547年から1548年にかけて完成、フマユーン廟が建設される約20年も前の建築なのです。廟内に残された碑文には、ここが「楽園の避難所(Asylum of Paradise)」であると記されています。
フマユーン廟やタージマハルと同様、様式問わず門をくぐる時の廟の見せ方がとても綺麗でした。
門が少し高台にあるせいか、イサ・ハーン廟を真正面から見る事ができて、とても美しく視界にはいります。
※シェール・シャー・スーリー:16世紀の北インドを支配したスール朝の創始者。
八角形が描く「ロディー建築」の最終形
イサ・ハーン廟の最大の特徴は、その八角形の構造です。これはデリー・スルタン朝(ロディー朝など)でよく使用された建築様式で、イサ・ハーン廟はその「最終的な完成形」であると言われています。

メヘラウリの廟との不思議な共通点
この前日にデリー・メヘラウリにあるアドハム・ハーン廟(通称:ブール・ブライヤ)を観光しました。あちらも同じく八角形の構造を持っており、建築様式を見ればこれらが同じ時代の潮流の中で生まれたことがよく分かります。

しかし、保存状態には大きな差があります。アドハム・ハーン廟が装飾の剥落が目立つのに対し、イサ・ハーン廟は近年の大規模な修復によって、かつての輝きを見事に取り戻しています。
また、イサ・ハーン廟の頂部にはチャトリと呼ばれるヒンドゥーの建築様式が見られることから、ムスリムとヒンドゥーの親和性の違いもわかります。
鮮やかなトリコロール!青、赤、白のコントラスト
私がこの廟を訪れて一番感動したのは、その色彩の鮮やかさです。
- フマユーン廟
赤砂岩と白大理石の「赤と白」の壮大なツートーン。 - イサ・ハーン廟
灰色の石英岩、赤砂岩の装飾、そして何よりドームや小パビリオン(チャトリ)を彩る青や緑のタイル。

この「青・赤・白」のトリコロールのような色使いは、フマユーン廟の重厚感とはまた違う、華やかで洗練された印象を与えてくれます。特にタイルの修復には、失われた16世紀の技術を再現するために、ウズベキスタンから職人が招かれたというから驚きです。
洗練された佇まい「イサ・ハーン・モスク」
廟の西側に目を向けると、同じ敷地内にイサ・ハーン・モスクが建っています。

このモスクは3つのアーチを持つシンプルな構造ですが、無駄を削ぎ落としたその佇まいは、現代の建築にも通じるような格好良さがあります。赤い砂岩のフレームと青いタイルのアクセントが、静かな祈りの空間を美しく彩っています。
フマユーン廟との違い、時代を映す建築の姿
| 特徴 | イサ・ハーン廟 (1547) | フマユーン廟 (1570頃) |
| 建築様式 | アフガン・ロディー様式 | ムガル・ペルシア様式 |
| 平面形状 | 正八角形 | 変則的な八角形 |
| 庭園 | 沈床式(サンクン) | 四分庭園(チャハル・バーグ) |
| 規模感 | 人間的、質実剛健 | 帝国的、記念碑的 |
建築はその時代の空気や権力者の理想を色濃く反映します。イサ・ハーン廟はアフガン貴族の強さと piety(敬虔さ)を、フマユーン廟はムガル帝国の始まりを告げる壮麗さを体現しています。
建築から歴史を読み解く
インドの複雑な歴史を完璧に覚えるのは大変ですが、こうして「建築」という視点から眺めてみると、歴史のつながりがスッと腑に落ちることがあります。
フマユーン廟を訪れるとロディ―様式、ムガル様式、両方の建築を見比べる事ができるので、デリーで個人的にとてもお勧めな観光地です。支配者が変わるだけで建築のビジュアルがここまで変わるなんて、日本では明治維新ほどのインパクトです。

デリーを訪れた際は、ぜひフマユーン廟の前に少しだけ足を止めて、この色彩豊かなイサ・ハーン廟の空間を味わってみてください。そこには、大帝国が生まれる直前の、洗練された「楽園」が今も息づいています。
(※記事内の写真は2024年1月に私が実際に撮影したものを利用しています。)


