今の若い世代にインドと聞いて「ターバン」をイメージする人はほとんどいないかもしれない。ターバンを巻くのはインドにおけるシク教の人たちで、人口比率は高くありません。
おじさん世代が思い描く「ターバンを巻く人々」の信仰をデリーで触れるなら、シク教寺院グルドワラ・バンガラ・サヒブは外せないスポットです。
ターバンを巻く人々が守る「美しき白亜の聖地」
デリーにあるムガル帝国時代の建築(レッド・フォートやフマユーン廟など)は赤砂岩を使ったものが多いですが、ここバンガラ・サヒブは対照的な真っ白な大理石で造られています。

青空に映える白い壁と黄金に輝くドーム。そのコントラストがとても美しかったです。イスラム教でもなくヒンドゥー教とも少し違うその独特の空間は、デリーの喧騒の中にありながら、一歩足を踏み入れると新鮮で清らかな空気に包まれます。
参拝前に知っておきたい「3つのマナー」とその理由
寺院に入るには、シク教の規範に基づいたいくつかのルールがあります。どれも「神の前での平等と敬意」を示す大切な儀式です。
頭を布で隠す
宗派を問わず、すべての訪問者は頭をスカーフやハンカチで覆う必要があります。
- 頭を隠す理由
シク教において、頭を覆うことは神の存在を感じ、その前で謙虚であることを示す行為です。また、全ての身分の人がターバンを全員が巻くことで、「すべての人間は神の前で平等である」という教えを体現しています。 - スカーフの用意
お寺に入るためには頭を覆う何かがあれば大丈夫です。もし何も持っていなくても、入口には無料のレンタルスカーフが山積みになっているので、それを借りましょう。
靴を脱ぎ、足を清める
寺院の建物に入る前に、靴を脱いで裸足になります。そして入口にある浅い水たまりを通り、足を洗ってから中に入ります。

- 裸足になり足を洗う理由
裸足なので衛生的に汚れを聖域に持ち込まないという事に加え、世俗の誇り(プライド)を捨て、謙虚な姿勢で神聖な場所へ入るという精神的な意味があります。 - 靴の保管方法
無料の靴保管所がありますが、不安な方はリュックにしまって持ち歩くことも可能です。
私はリュックに鞄を入れれる事ができるバッグなので、預けずバッグに入れて入りました。

靴の保管所はお寺の外の半地下になっている場所にあります。なんとなくですが、ここに預けても盗まれる、無くなることはなさそうです。
内部での撮影禁止
礼拝堂(メインホール)の内部は撮影が禁止されています。
礼拝堂にはは黄金の天蓋に守られた聖典「グールー・グラント・サヒブ」が安置されており、信者たちが真剣に祈りを捧げていました。
数万人の腹を満たす「ランガル」
バンガラ・サヒブの最大の特徴は、ランガルと呼ばれる無料の食事提供活動です。

- 驚異の規模
毎日約3万〜4万人、週末には10万人以上に食事が提供されます。 - 平等の精神
カーストや宗教、国籍に関わらず、全員が床に一列(パンガット)に並んで同じものを食べます。「神の前で王も物乞いも等しい」というメッセージです。 - すべてはボランティア
調理から配膳、数万枚の皿洗いまで、すべてボランティアが行っている。
食事といっても上の写真のように水は手の平分、食事も同様に手の平に少しのる程度で、ランガルをしに行けばお腹一杯になるわけではありません。日本の公園で行われている炊き出しの感じではなく、もっと形式的でした。
病を癒やす?「聖なる池(サロヴァル)」の歴史
寺院内にある広大な池(サロヴァル)は17世紀、第8代指導者グールー・ハル・クリシャン・ジーが滞在した邸宅(バンガ)の跡地です。当時、デリーで天然痘とコレラが流行した際、グールーはこの邸宅の井戸水を病人に分け与え、多くの人々を救ったと伝えられています。

現在も、この池の水は「アムリット(聖水)」として崇められ、治癒を願う人々が沐浴をしたり、水を持ち帰ったりしています。水面に反射する白い寺院の姿は、デリー屈指の美しさです。

この池の水を汲んで持ち帰ったり、沐浴している人はいませんでした。
ところどころに監視している人がいて、たぶん池に入ったりすると怒られます。
診療所という側面も
バンガラ・サヒブは歴史的な場所であると同時に、診療所も併設されていて、格安で医療を提供されています。こうした活動もすべて、信者からの寄付によって運営されています。

おわりに
参拝時に借りたスカーフなんですが、うっかり日本まで持ち帰ってしまいました。それはそれでインドの思い出深い(そしてちょっと申し訳ない)お土産になってしまいました。
次に訪れる際は、そのスカーフ以上の「何か」を返せたらと思います。

デリーを訪れた際は、ぜひその真っ白な大理石の回廊を歩き、静かな池のほとりで、インドの深い精神性を感じてみては。
(※記事内の写真は2024年1月に私が実際に撮影したものを利用しています。)


