大阪府堺市中区の住宅街を歩いていると、目の前に巨大な階段状ピラミッドが現れます。国指定史跡「土塔(どとう)」です。
この堺の土塔を訪れて思い出したのが、以前訪れたインドネシア・ジャワ島の世界遺産「ボロブドゥール寺院」の姿でした。
住宅密集地にそびえる土と瓦の階段ピラミッドを見上げていると、密林に鎮座するあの壮大な石造寺院と、何か似ているなあと感じました。
造られた時代も近く、形状も似ている。世界同時多発的に発生した理由があるのかもしれない。そんなわけで土塔とボロブドゥール寺院の時代・建築・思想・歴史的接点を比較してみました。
【基本データ比較】完成時期の近さと規模の違い
まずは、両遺跡の基本情報と建立時期の比較。
| 項目 | 土塔 | ボロブドゥール寺院 |
| 所在地 | 堺市中区土塔町 | インドネシア中部ジャワ州 |
| 建立開始・完成時期 | 神亀4年(727年) 着工(奈良時代) | 780年頃着工 830年頃完成 |
| 基壇の大きさ | 一辺 約53.1m (正方形) | 一辺 約121m (正方形・突出部あり) |
| 高さ | 約9m (現存・復元) | 約35.4m (創建時は約42mと推定) |
| 層数 | 13層 | 10層 |
| 主な建材 | 土+ 粘土板瓦 | 安山岩 |
| 建立の主導者 | 行基および民衆・信徒 | シャイレーンドラ朝の王族 |
完成時期は「ほぼ同時代(8世紀)」
土塔の建立は、727年に行基が大野寺境内に起工したことが判明しています。

一方、ボロブドゥール寺院は文字資料が極めて少ないものの、780年頃から830年頃にかけて建造されたと推定されています。

地理的に約5,000kmも離れた日本とジャワ島で、8世紀(奈良時代)という100年以内の近い時代で、階段状の巨大な仏塔が建設されていたことは、歴史的事実です。
【建築構造】似ている点と違っている点
現地を訪れた際、この2つの遺跡に既視感を感じる理由。
建築的な類似点
- 階段ピラミッド(四角錐)状の多層構造
一般的な日本の仏塔は「細く高くそびえる」のが特徴ですが、土塔は高さ約9メートルに対して底辺が約53メートルもあり、背の低い四角錐のシルエットを持っています。ボロブドゥールも同様に、広大な正方形の基壇の上に段状に層を積み重ねていくピラミッド構造です。 - 東西南北を意識した対称配置
どちらの構造物も、正方形の各辺が東西南北にほぼ正確に向けられており、幾何学的でシンメトリーに設計されています。
建築的な決定的な違い
外見のシルエットこそ似ていますが、その工法や内部機能は根本的に異なります。
- 「土と瓦」vs「総石造」
土塔は、土を何層も突き固めて盛り上げ、風雨による土の崩落を防ぐために斜面と壁面に約60,000枚もの瓦を葺いた「日本唯一の土造仏塔」です。
ボロブドゥールは自然の丘を芯にしながら、約200万個、約5万5,000立方メートルにも及ぶ安山岩のブロックを積み上げた「総石造建築」です。 - 「登る巡礼路」があるかないか
ボロブドゥール寺院は、各層のテラスに回廊が巡らされ、壁面には総延長2.5kmにおよぶレリーフが彫られています。参拝者が時計回りに回廊を歩き、階段を上りながら悟りの境地へと向かう「体験型・登頂型の立体曼荼羅」として機能します。
堺の土塔は、各段の幅が極めて狭く、人間が回廊として歩くための通路ではありません。人々は塔の周囲の平地からその多層の姿を仰ぎ見て拝むための塔でした。

【仏教思想】根底にある共通の考えとは?
遠く離れた2つの地で、なぜこのような似た構造物が構想されたのか。仏教の観点から比較してみる。
共通点:仏教の宇宙観「須弥山(メル山)」の具現化
仏教の世界観において、世界の中心には「須弥山(しゅみせん / サンスクリット語:メル山)」と呼ばれる聖なる巨山がそびえ立っていると説かれます。

- ボロブドゥール寺院は、基壇から最上部へと登るプロセスが、仏教の宇宙観である「三界(欲界・色界・無色界)」を上昇していく構造そのものとして設計されています。最下層の「欲界(因果応報)」から、中層の「色界(形態のある世界)」、そして最上部の円形壇「無色界(形態を超越した悟り・空の世界)」へと至る、「須弥山=曼荼羅」の立体化です。
- 土塔についても、古代インドの仏塔(ストゥーパ)の原型や、仏教の聖山である須弥山を模して土を盛り上げたものであると解釈されています。

「仏教の世界の中心である須弥山(階段状の山)を地上に立体として具現化する」という教義の根本理念において、両者は共通した思想的源流を持っています。
宗派・教義的背景の違い
- 土塔
行基は、大乗仏教を学び、社会事業とともに民衆へ信仰を広めました。土塔の建立は、万人が善行を行い、仏と縁を結ぶことが主眼にありました。 - ボロブドゥール
シャイレーンドラ朝期に建てられたボロブドゥールは、教理体系を、壁面のレリーフや仏像の印相によって緻密に図像化したものです。
【歴史の謎】過去にそれぞれの遺跡で「接点」はあったのか?
現地を訪れた際に抱く「これほど似ているなら、古代に何か直接の図面のやり取りや人の往来があったのではないか?」という疑問。
結論:わからない!
堺の土塔とボロブドゥール寺院の建設者が直接連絡を取り合っていた、あるいは互いの建築を参照したという証拠は確認されていない。
なぜ似たのか?――「大乗仏教ネットワーク」による同根の発展
直接の行き来がなかったとすれば、なぜこれほど似たものが同時期に生まれたのか。
直接の交流ではなく、インドを起点とする仏教文化が、アジア各地へ伝播した結果生じた平行現象と思われる。

8世紀という時代は、唐を中心に、シルクロードや海のシルクロードを通じて、僧侶や経典が活発に行き交った時代でした。
インドから生まれた「須弥山を模した階段状ストゥーパ」という建築理念の考えが、海上ルートでジャワ島へ伝わって「石造のボロブドゥール」となり、中国・朝鮮半島を経由して日本へ伝わり行基の手で「土と瓦の土塔」となった。これが最も有力そうです。
【建立の背景】「民衆の力」vs「王族の威信」
二つの遺跡から見えてくる「誰が、何のために造ったのか」という社会的な背景。
土塔:名もなき民衆が瓦に刻んだ「結縁」
堺の土塔からは、これまでに1,300点以上もの「文字瓦」が出土しています。そこには、僧侶や貴族だけでなく、一般庶民、さらには農民や女性とおぼしき人々の氏名が刻まれていました。

当時、国家から弾圧を受けながらも民衆とともに社会事業を行った行基は、「みんなで土を盛り、瓦を寄進して仏塔を完成させよう」と呼びかけました。土塔は、高度な石工技術を持たない一般庶民でも参加できた、民衆のパワーと祈りの結晶なのです。
ボロブドゥール:強大な王権が誇る「石の教典」
対するボロブドゥールは、8世紀後半に中部ジャワを支配したシャイレーンドラ朝の王権が、国家的な財力と高度な石工技術を結集して造営したものです。
王権の権威を象徴すると同時に、大乗仏教の宇宙秩序を地上に完全再現することを目指した国家事業であり、王朝の威信をかけた壮大なモニュメントとしての性格を持っています。
まとめ
堺の土塔を訪れた際に感じた「ボロブドゥールに似ている」という感覚から何か発見があると思いましたが、色々調べた結果「仏教」「建設時期が近い」「形状が似ていた」という共通点があるという程度しかわかりませんでした。
土塔についての記事はコチラ
◇日本唯一の土造仏塔「土塔」の構造と13層目の秘密
ボロブドゥール寺院についての記事はコチラ
◇世界最大の仏教曼荼羅、三界を上る巡礼
(※記事内の写真は私が実際に撮影したものを利用しています。)


